猫は人生の先生である。

 例えば、朝どうしても布団から出られない日があったとして。理由があるわけじゃなく、ただなんとなく今日は、気分がのらなかったり、体がとても重く感じたり。特に寒い時期は冷たい空気がまるでわたしを拘束しているかのように、そこに縛り付ける。

 わたしの腕を枕にして布団の中で眠っている猫は、そんなわたしの朝に繰り広げられる葛藤との戦いなんてものは知らないし、なんなら「寝てるんだから動くな」と言うように片目を薄く開けてこちらを見るし。

 わたしは結局どうでも良くなって、まあいっか、って。仕事をやすむ日もあります。それは脳が、体が、わたしにわかりやすく伝えてくれている合図だと思って。それでも、仕事を休む場合は理由をつけないといけない。連絡することが億劫で、というか、なんだか不安に苛まれて、よけいに縮こまりまるで掛け布団を殻にしたカタツムリ。

 説明できないような理由をどう伝えたらいいのか、こんがらがる頭の中。行けば良いじゃん、と簡単に言われても、動けないものは動けない。それはこころが悲鳴をあげているのだと思っています。

 猫って、理由を聞きません。「大丈夫?」とも聞かないし、労うこともしません。それが、なんて楽なんだろう、と。そう思わざるを得ないのです。放っておいてくれる。

 でも、なんとなくそばにいてくれる。何もしないで、あるいは柔らかな体毛を指の腹に感じながら、そのまま目を閉じることを許してくれる——ように思える。

 

 わたしは、それにどれだけ救われたことか。

 

 なにもしなくてもいい、理由がなくてもいい、ただそこにいてもいいということを、静かに認めてくれるように。なにもしなくてもいい、理由がなくてもいい、ただここという場所が居場所であるよ、と言ってくれているように。そんなふうにわたしには思える。

 世の中は窮屈です。人と人の営みの間には、なにかと理由がいるし、その理由が相手に理解できる明確な理由でないと受けいてもらうことが難しい、そんな世の中。

 わたしに居場所をくれる猫たちと同じように、理由のいらない、窮屈でない、誰かの居場所を作れたら。

 今日はできる。明日はできない。それでもいつでも、また戻ってこられる場所。

 猫たちは、わたしに理由を求めない。だからわたしも、誰かに「ここにいていい理由」を求めない場所を、作りたい。

 CAFEあいあむは、そんな場所。

「Basically, I’m convinced I’m a cat.」

この記事を書いた人: 舞
この記事を編集した人: CAFEあいあむ編集部
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