読書感想文|『地下室の手記』——人間は、160年前からめんどくさい。

 まずはじめに、言っておきたいことは、わたしは彼の大のファンです。彼は本当に天才だと思っていますし、こころから尊敬する小説家のひとりです。

 さて、人間は、めんどくさい生き物です。わたし自身もそうですし、家族もそう。きっと、この世にめんどくさくない人間なんて、ひとりもいないのではないでしょうか。

 わたしは、人間という生き物があまり好きではありません。もちろん、個人として好きな人はたくさんいます。ただ、人間という存在そのものを考えたとき、どうにも好きになれないのです。そんなわたしが読んで、面白くて仕方なかった小説があります。

 フョードル・ドストエフスキーの『地下室の手記』です。

 1864年に発表されたこの小説には、名前の明かされないひとりの男が登場します。彼は自分自身のことや、世の中のことを、ああでもない、こうでもないと語り続けます。そのことばを追いかけていると、人間という生き物の、普段はあまり見たくない部分まで見えてくるような気がするのです。

 これが、実にめんどくさい。

 そして、たまらなく面白い。

隠したいのに、隠せていない

 わたしには、この男が、自分の見せたくない部分を隠したいのに、隠しきれていないように見えました。

 人間は、自分のこころの中にあるものを、何もかも他人に見せているわけではありません。誰かを羨ましく思ったり、見下したり、自分の言動を正当化したり。そんな考えが浮かんだとしても、わざわざ口に出さず、胸の内にしまっておくことがあります。

 わたしだって、そうです。

 ところが小説を読んでいると、登場人物の内面を、外側から眺めることができてしまいます。『地下室の手記』の男が語ることばにも、そんな見せたくないものが、あちこちからにじみ出ているように感じました。それを読んで、ふと思うのです。

 もし、わたしのこころの中も、誰かにこんなふうに見えていたとしたら。

 自分では隠しているつもりでも、案外、他人には見えているものがあるのかもしれません。そう考えると、なんとも居心地が悪い。けれど、だからといって、この男を嫌な人間だとは思いません。そもそも、彼は本当に嫌な人間なのでしょうか。わたしにはわかりません。人の醜い部分が見えることと、その人が嫌な人間であることは、同じではないと思うからです。

現実ではめんどくさいのに、小説では面白い

 現実の人間は、本当にめんどくさいものです。

 十人十色ということばがありますが、人にはそれぞれ違った経験があり、考え方があり、事情があります。同じ出来事を経験したとしても、誰もが同じように考えるわけではありません。しかも、他人の考えていることなんて、完全にはわからない。

 それなのに、現実では、そのわからない人間たちと関わりながら生きていくことになります。

 わたし自身もまた、誰かにとってはめんどくさい人間なのでしょう。ところが、それが小説になると、途端に面白くなるのです。読者は物語の外側に立ち、登場人物の人生を追いかけることができます。現実では聞けないような内面のことばを読んだり、その人が何を考えているのか想像したり。

 わたしは、活字を読むことが好きです。文字だけで描かれた世界には、自分で想像する余地がたくさんあります。登場人物の顔も、声も、その場の空気も、同じ文章を読んだ人がまったく同じように思い描いているとは限りません。書かれていることばをもとに、自分で考え、自分の中に世界をつくっていく。

 その時間が、わたしにはたまらなく楽しいのです。

答えてくれないから、考え続ける

 現実で誰かと話しているとき、相手のことばが気になれば、質問することができます。

 たとえば「しんどい」と話してくれた人がいたとします。けれど、その人が言う「しんどい」が、どんなしんどさなのか、わたしにはわかりません。だから聞きます。

「そのしんどいというのは、どういうしんどさですか?」

 そうして答えてもらうことで、自分が想像していたことのいくつかは違ったのだと気づいたり、新しい考え方に出会えたりします。もちろん、どれだけ質問したとしても、その人を完全に理解することはできません。でも、小説の登場人物には質問することさえできないのです。

 どうして、あんなことを言ったのだろう。

 あのとき、本当は何を考えていたのだろう。

 ここに書かれていないところで、どんな経験をしてきたのだろう。

 考えても、考えても、登場人物が新しく答えてくれることはありません。いくつもの想像が、想像のまま残ります。わたしは、そのもやもやが好きです。

 『地下室の手記』の男についても、読む人によって解釈は違うでしょう。わたしには、自分を隠したいのに隠しきれない男に見えました。でも、別の人には、まったく違う人間に見えるかもしれません。どちらが正しいのか、決める必要はないと思っています。

 そもそも、ひとりの人間について、たったひとつの答えが存在するのでしょうか。わたしには、それすらわかりません。だからこそ、人間について書かれた小説を読むのは面白いのだと思います。

160年経っても、人間はめんどくさい。

 『地下室の手記』が発表されてから、160年以上が過ぎました。その間に、人間の暮らしは大きく変わりました。けれど、人間のこころの中はどうでしょう。自意識も、矛盾も、他人への複雑な感情も、昔とそれほど変わっていないのかもしれません。

 160年以上前に書かれた男のことばに、今を生きるわたしがこんなにも引き込まれてしまうのですから。

 ドストエフスキーは、いったいどれほど人間を見ていたのでしょう。わたしはこの小説を、とても楽しく読みました。人間の醜さを眺める居心地の悪さも、理解しきれない人物について考え続けるもやもやも、全部ひっくるめて面白かったのです。

 わたしにとって、答えの出ないことを考え続けられるのは、純文学の醍醐味のひとつです。

 人間は、160年前からめんどくさい。

 そして、きっとこれからも、めんどくさい。

 あなたが『地下室の手記』を読んだら、あの男はどんな人間に見えるでしょうか。

今回読んだ本『地下室の手記』

フョードル・ドストエフスキー 著

江川卓 訳/新潮文庫

今回、わたしが読んだのはこちらの一冊です。

この記事を書いた人: 舞
この記事を編集した人: CAFEあいあむ編集部
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